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   財団理事による近刊書「子どもたちは未来の設計者~東日本大震災”その後”の教訓」の紹介です。

目 次

はじめに

 

第一章 津波に浚われた赴任地

東日本大震災が起きる前に、筆者は、三陸沿岸に四校通算十四勤務していました。思い出の地は、すべて被災し、津波に浚われました。はじめに、かつてお世話になった土地の被災状況を紹介します。


一 陸前高田市立広田町(1982年~1985年)
   変わり果てた初任地

二 陸前高田市高田町(1985年~1988年)
   教え子、友人、知人が浚われた町
   千三百人が避難した第一中学校

 
三 大槌町(1988年~1994年、*再2012年~2014年)
   津波と火災で壊滅した町
   巨大津波の伝説「臼沢」と「三枚堂」


四 大船渡市三陸町越喜来(2005年~2007年)

五 半分だけ被災者に与えられた使命
   被災者の変遷

     

第二章 奇跡の子どもたち
 
壊滅的な被害を受けた被災地で出会ったのは、明るく逞しく生きる子どもたちでした。大槌中学校、気仙中学校、大槌高校の生徒の様子を紹介しながら、被災地の子どもたちの奇跡のような笑顔の根源を考えてみます。

一 大槌中学校
   
仮設校舎から卒業する生徒たち
   刀を磨く


二 気仙中学校
   けんか七夕太鼓の継承活動
   ぼくらは生きるここでこのふるさとで
   
清流に癒される日々

三 大槌高等学校
   避難所運営に積極的に携わった生徒の変容

四 子どもたちの笑顔はどこから?

  友学校のもう一つの役割
   
気仙中学校の夏休み


五 学校生活を支えていた支援物資
   赤いくつ、白いくつ
   スクールバス
   仮設住宅

 

第三章 心のケアと「集団のケア」

被災した生徒、肉親を亡くした生徒には「心のケア」が必要でした。しかし、それは、深く傷ついた生徒の「心」という「命」にふれることです。教員によるカウンセリングには、失敗した時のリスクが心配されました。学校は、教師本来の得意分野を活かして「生徒が安心して生活できる集団をつくる」に力を入れる。これが「集団のケア」の考え方です。


一 心という「命」にふれることへのためらい

二 学校をケアする「集団のケア」

三 焼肉カーニバル

四 折々に行事を楽しむ


五 思い出プリント作戦
   写真を流された生徒へのプレゼント
   支援に感謝する写真展

      
六 心のケアと交流の制限


七 学校の正常化

八 保護者へのエール「旭山運動会」

 
九 3・11追悼の日のメッセージ

 

第四章 支援者との関わり

芸能人や著名人はもちろんのこと、学校間の交流も断らざるを得ないという厳しい状況の中で、被災校は支援者とどのように向き合ってきたのか。今後の被災地支援、被災地との交流に役立て欲しいという思いから、交流が上手く進んだ事例を幾つか紹介します。

一 支援者に生徒を託した交流事業
   「いまいる。プロジェクト」大槌町で弟一家を亡くした支援者

 「絆コンサートin河内長野」市を挙げての吹奏楽部招聘事業

 被災地の外に出掛けることの意義

 ロータリークラブ・ライオンズクラブの底力

二 生徒と膝を交えてくれた演奏者
   午後のコンサート
   岩見淳三&YAYOI


三 支援者たちの横顔
   RKH
   鮭Tプロジェクト
   スローチャリティ
   気仙すぎの子基金
   軽井沢町
   24四時間テレビと奇跡のピアノ


四 企業の社会貢献(CSR)
   みちのく未来基金
   中学生フォトブックプロジェクト

五 作家たちの活動「12の贈り物」

 

第五章 支援物資のミスマッチと「マッチング」

震災直後、被災地に大量に届いたのがノートや鉛筆といった文房具でした。大規模災害が起きた時、皆が、直感的に行動すると、構造的なミスマッチが起きるのです。これからの支援には「マッチング」という考えが必要です。

 
一 被災地で起きていたミスマッチ
   廃校に山積される文房具
   公平性が引き起すミスマッチ~仕分けと配送に苦慮した自治体~
   タイムラグによるミスマッチ~被災地のニーズは刻々と変化する~
   ボランティア受け入れのミスマッチ


二 支援物資の「マッチング」~ICT時代の被災地支援~
   ホームページやSNSの利用
   ほしいものリスト
   ウエブベルマーク


三 校長室の役割
   スマイル体育館
   グレース夫妻の贈り物
   スマイル図書館
   保護者の支援依頼・ホクエイ
    

第六章 津波防災減災学習の課題 

被災地では様々な形で避難訓練や、防災・減災教育が行われていますが、私たちがこれから大事にしなければならのは、数十年に一度の地震、津波を想定した取組です。災害を忘れた頃の避難訓練や防災・減災学習がいかに難しいか、その教訓として、東日本大震災前に実施した津波防災学習や避難訓練のエピソードを紹介ながら、持続可能な避難訓練や、防災減災教育について考えてみます。

 
一 1993年北海道南西地震の教訓
   
津波警報発令時の避難者はわずか6.9%~

   津波防災学習会と揶揄

二 避難訓練の課題
   
登下校中の避難訓練
   
津波防災カードと「でんでんこ」の避難訓練   


三 エビデンス
   地形やビルに救われていた命
   津波は線路を越えない
   迷信が助長した被害

四 災害をイメージする
   災害発生時の学校開放
   
五 解体された教材・震災遺構
   夜爪を切る


六 災害は身近にある
   学生時代に経験した崖崩れ
   川崎村(一関市川崎町)の洪水
   
砂鉄川の氾濫・二度の床上浸水
   岩手・宮城内陸地震と厳美中学校の使命


第七章 災害時の情報伝達


東日本大震災では、被災地のほとんどが携帯電話やスマホが使えない「圏外」になり、バッテリー切れで困った人も沢山いました。専用回線で結ばれた自治体のネットワークが災害に弱いことを露呈しました。災害時の情報手段について考えてみます。

一 東北電力管内約440万戸が停電
   伝言やメモが情報手段に
   専用回線、専用サーバーで結ばれたネットワークの弱点

二 東大ロボの新井紀子先生が開発した
  次世代の情報基盤システム
   震災直後に被災地の情報を共有していた教育センター
   ネット・コモンズ(NetCommons)


三 被災者の足代り・飛脚ボランティア

四 ネット社会の「影の部分」について
   体験型情報モラル教育ソフト「情報サイト」
   情報を正しく解釈する力
   
釜石の出来事

 


第八章 三陸の自然と遠野物語~筆者の原風景~

三陸には美しい自然が残されています。震災以前のことですが、筆者はこの自然に囲まれながら、ライフークの一つとなった「遠野物語」と「水の中の生き物」に出会いました。本書のタイトル「子どもたちは未来の設計者」という言葉が生まれ育まれた背景です。

 
一 三陸の自然

  湧水とイトヨ・水の都「大槌」
   ハマキグと「希望郷いわて国体」
   吉里吉里の鳴き砂
   「酔仙」と「浜娘」・美味しい水の話


二 ヒゲナガの川
   水の中の生物との出会い
   水質調査の教材化
   親水活動 

  
三 遠野物語の検証
   たたら(製鉄)の再現
   オット鳥
   白見山と「二十六夜様信仰」
   マヨイガ

 

第九章 豊かな体験「原風景」が未来をかえる 
 
哲学者や教育学者が唱える教育論とまではいかなくても、子どもたちに物事を教えるためには、信念のような、基本的な考え姿勢が必要です。これまで紹介した取組の背景にある筆者の基本的な考えを「子どもたちは未来の設計者」というキーワードからご紹介して本書を閉じさせて頂きます。

一 行事や体験活動の大切さ
   
ティーチング、コーチング、スイッチング      

                   
二 三つ子の魂を育む
   仮設店舗での職場体験
   大槌版「ようこそ先輩」
   語り部プロジェクト 


三 子どもたちは未来の設計者


おわりに