幼かった頃
岩手、宮城、福島を中心とする東日本で
大きな地震と津波がありました。
東日本大震災です。
この本は
半分だけ被災者、半分だけ支援者が経験した
東日本大震災の被災地と
その後の学校での出来事です。
「はじめに(抜粋)」から ~NHKラジオ深夜便で江崎史恵アナウンサーが朗読~
私は、この震災で教え子や保護者、職場の同僚や知人をたくさん亡くしました。
震災前、岩手県の沿岸地域に教師として14年暮らしていたからです。
故郷が、津波で壊滅的な被害を受けた陸前高田市の隣町だったので親戚も亡くなりました。
悲しく辛い日々が続きました。
震災で心を痛めた人も「被災者」と呼んでいいのなら、私も被災者の一人でした。
私だけでなく、当時、東日本大震災の被害の様子をテレビや新聞で見た人たちは、皆、自分のことのように心を痛めていました。
しかし、私には家があり、家族は無事でした。
目の前で家が流され、肉親を失った被災者たちとは明らかに違っていたので、自分は「半分だけ被災者」そう思うことにしました。
(以下)「3・11震災を知らない君たちへ」の「はじめに」の内容です。
はじめに
2011年3月11日の午後2時46分頃、東日本の太平洋側でマグニチュード9・1というとても大きな地震が発生し、岩手県、宮城県、福島県の沿岸は巨大な津波に襲われ、死者・行方不明者18、430人(2019年3月現在)という未曽有の災害に見舞われました。
私は、この震災で教え子や保護者、職場の同僚や知人をたくさん亡くしました。震災前、岩手県の沿岸地域に教師として14年暮らしていたからです。故郷が、津波で壊滅的な被害を受けた陸前高田市の隣町だったので親戚も亡くなりました。
悲しく辛い日々が続きました。震災で心を痛めた人も「被災者」と呼んでいいのなら、私も被災者の一人でした。私だけでなく、当時、東日本大震災の被害の様子をテレビや新聞で見た人たちは、皆、自分のことのように心を痛めていました。
しかし、私には家があり、家族は無事でした。目の前で家が流され、肉親を失った被災者たちとは明らかに違っていたので、自分は「半分だけ被災者」そう思うことにしました。
その私が、震災から一年後、津波で被災した大槌町立大槌中学校に勤務することになったのです。
この学校に勤務するのは二度目で、同じ学校に二度も勤務することになったのは「被災地のことをよく知っているから」というのが理由だったようです。前回の勤務と少し違う点は、校長先生として学校を切り盛りする立場になったことです。
震災が起きた年、岩手県では「被災した児童生徒が安心して生活ができるように」と、沿岸の学校に勤務していた先生方の人事異動を凍結したので、私が大槌中学校に赴任したのは翌年の4月でした。
大槌町は、津波だけではなく、直後に起きた火災にも巻き込まれ町民の10人に1人が犠牲になり、多くの人が家を失っていました。
当然、大槌中学校の被災状況は凄(すさ)まじく、全校生徒267人中、被災した生徒は184人に上り、半数近い127人が家を失い仮設住宅から仮設校舎に通学していました。
経済的に困難な家庭に学用品費、給食費、修学旅行費用等を支給する就学援助制度の対象者も154人に上り、さらにほとんどの生徒が身内か知人を亡くしていました。
東日本大震災の被災地にど真ん中があるとすれば、大槌中学校ではないかと思いました。この被災地のど真ん中の中学校に、今度は「支援者」として勤務することになったのです。
ところが、被災地の校長室には毎日のように全国から支援者が訪れ、彼らには、仮設校舎で生徒と一緒に生活している私は、支援者というより被災者の一人に見えたようです。
実際、被災地に支援物資を届けたり、被災地のために街頭で募金を集めたりするような支援者ではなかったので、私の「支援者」は、半分だけの「支援者」でした。
この本では、津波に浚(さら)われた被災地の様子、被災しながら逆境に立ち向かう子ともたちの姿や、彼らを物心両面から支えようとする支援者との出会いについて紹介しています。
本来なら、被災地の様子は、「半分だけ被災者」の私ではなく、震災を直に経験した被災者が語る内容です。
しかし、被災者が震災について口を開くことは、簡単なことではありません。戦争を体験した人が、戦地の様子を語らないことと似ています。
そう考えると、被災地の様子を伝えることは「半分だけ被災者」の私の役割のような気がしました。この本を執筆した動機の一つです。
さらに、被災校に赴任して初めて分かったことですが、被災地では支援物資が野積みにされていました。支援者には思いも寄らないことだったと思います。
また、外から見れば羨ましくも見える芸能人や著名人の訪問は、学校の正常化とは相反するものだったのです。
東日本大震災の「その後」に起きていた支援物資や交流のミスマッチは、被災地にいなければ分からないことです。このことを伝えることは「半分だけ支援者」の私の役割に思えました。
災害はこれからも起きます。「もし自分が被災者になったなら」「もし自分が支援する側の立場だったなら」その時、どうしたらよいのか。
この本は「半分だけ被災者」「半分だけ支援者」から、震災を知らない君たちへのメッセージです。
この本は震災を知らない児童生徒向けの書籍です。
親から子に、担任から児童生徒に紹介したい一冊です。